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努力の好きな人

「もっと、努力しなさい!」

「努力が足りないぞ!」

などなど、小さい時から、親や教師、あるいは上司などに

言われてきたのですが、

「努力したら、必ず幸せになるんですか?」と問うと、

「それはわからない」とか

「運もあるなぁ」とか

言われた後に、

「しかし、努力なしではダメだぞ!」

「努力は幸せになる要素だ」とか

言われました。

確かに、世の中、

「努力」が好きな人はいるもんです。

結局、好き嫌いのレベルなら、

非常に個人的な問題です。

個人的な問題なら

他人に押し付けることは、

過干渉というものです。

親や先生、上司に好かれたいがために、

いやいや「努力」している人を見かけます。

いい大学に入って、

一流と言われる会社に入っても、

過労や人間関係で、

退社し、引きこもりになってしまう方もいます。

自死する人もいます。

アリは、10匹のうち必ず、よく働くアリが3匹、

働かないアリが3匹、

どっちでもないアリが4匹の割合になっているそうです。

良く働くアリを10匹選んで集めても、

やはり、3,3,4の割合になります。

なまけてくださる方がいるから、

働き者が働き者として浮かび上がるわけです。

不合格になってくださる方がいるから、

合格者がいます。

病気になってくださる方がいるから、

治す職業がなりたちます。

そう考えますと、

自分の価値観で相手を責めることに意味はなくなります。

全ての存在、

自分以外の方が、役割を引き受けてくださっているからこそ、

自分という存在が成り立ちます。

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この瞬間がすべて。

過去はもちろん、戻ってはきませんし、

未来はどうすることもできません。

見えないものは見えませんし、

わからないものはわかりません。

しかし、目の前のこの瞬間瞬間の「今」は間違いありません。

「今」があるのも、過去のお陰ですし、

「今」があるからこそ、未来があります。

ですから、過去を悔んだり、

未来を心配して、

「今」を無駄にすると損します。

念と書いて、

今に心と書きます。

今の瞬間瞬間に、心を置いて過ごしていれば、

何も心配することはありません。

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天使と悪魔

「天使と悪魔」このあまりにも異なる二つのキャラクター。

実はこの違いすぎるキャラクターは同じ人間に必ず同時に内在するのです。

ですから人間である以上、完璧な天使もいないし、完璧な悪魔もないのです。

また一時期に悪魔のような人だったのが天使のような人になったり、天使のような人が実は悪魔のようだったりします。

私達はその事に振り回されてはいないでしょうか。

大事な事は一瞬一瞬の出来事に対する自分の反応を犯してしまった罪のように卑下する必要は無いのです。

あの赤ちゃんでも笑っている時や寝ているときの顔はまさに天使のようです。

誰でもがその姿に心を洗われるようです。

しかし、一旦不機嫌になり泣きじゃくり始めるとまるで悪魔のように困らせてくれます。

この人間である以上誰でもが「天使と悪魔を同時に内在している」という事をわかっていないと、

例えば赤ちゃんが泣きじゃくり思うように育児ができない時に赤ちゃんがまるで悪魔そのもののように思えてくるのです。

また、自分の苦労や気持ちをわかってくれない周囲の人も悪魔のように思えてくるのです。

その結果、悲惨な虐待事件につながったりするのです。

その悪魔の裏側には愛らしい天使の笑顔があるのにもかかわらず。

天使の姿に気づいた時にはもう手遅れかもしれません。

私達自身の人生においても天使だと思っていた人や事柄が実は悪魔だったのだと早合点してしまい、手放した時には手遅れになっていたようなことが意外と沢山あるかも知れません

。また反対に悪魔だと敬遠していたり軽視していた事が実は天使だったのだと後悔したこともあるかもしれません。


本日夕刻、こんな事がありました。出先の仕事で先を急いでいた所、ある夫婦が桜の木に下でたたずんでいました。

奥さんは車いすでした。私は先を急いでいましたので、気にもとめずに通り過ぎようとしていました。しかし、凄く氣を感じるのです。

あまり感じるので視線を夫婦の方へ向けました。

そこで、私は気づきました。

実は3年前仕事上である相談を受けた方でした。

その時は凄く話がしつこくて棘があり、誰もが話すらするのが嫌な感じのする方でした。

でしたので、私は気づかないふりをして通り過ぎようとしました。

まさに通りすぎようとしたときに私の心の中になんともいえないどす黒い嫌な影が落ちてきました。

一瞬の呼吸で気づいた時には身体の方が先にその夫婦の方へ向かっていたのでした。

「お久しぶりですね!その後どうでした?」と無意識に声を掛けていました。

「やっぱり!若さんだ。ほら!」と車いすの奥さんが旦那さんの方を向いて笑顔で言われました。

その後は5分くらい、いろいろ3年間の事を語ってくれました。

「いろいろあったけど今はおかげさんでうまくいってます」と笑顔で言われました。

「どこに行ってたんですか?」と言うと「どこも行ってませんよ。いやぁ、女房に桜を見せたくてね。

ほら、八重桜が丁度きれいにさいているでしょ」と指差した方にきれいな八重桜が満開で咲いていました。


傍できれいに咲いている八重桜にすら気づかないでいた自分の余裕の無さを恥ずかしく思いました。

また、悪魔のようだと決め付けて気づかないふりをして立ち去ろうとしていた自分のおろかさに気づかされました。

このご夫婦はそうは思っていなかったのにもかかわらず。むしろ天使のように私を迎えて下さいました。

一瞬の判断とはいえ、その判断すら天使と悪魔を分ける事になるのです。


「天使と悪魔」この異なるふたつのキャラクターが同じ人間や事象に内在している。

こう学習するだけでいたずらに自己嫌悪したり有頂天にもならずにすみます。

また他人に対してもいたずらに憎んだり嫉妬したりあるいは過信妄信したりする必要は無いのです。

「天使と悪魔」は神仏が、私達に自然体である事を教えられるために使わしたものなのでしょう。

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ナメられるなら、とことんナメらましょう。

どこの世界にも、ナメてくる人もいますし、

ナメられる人もいます。

よく「ナメンなよ!」とか

「ナメがって!」と

怒っている人がいますが、

私の経験上、ナメられる人は、

やっぱりどこかで、誰かをナメてますね。

そして、すぐに人をナメる人は、

どこかで、誰かにナメられていますよ。

真実を言うと、

ナメられる。あるいは、

ナメられるようになったということは、

大きく飛躍するチャンスです。

言い換えますと、

「ナメあい」の気持ち悪い、狭い世界から、

解脱するチャンス到来です。

「ナメあい」のない、より次元の高い世界が待っています。

だから、ナメられたら反応せずに、

小さい奴だなぁと笑っていましょう。
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聖徳太子の能力

聖徳太子は多くの能力を発揮した方でした。

仏教を普及し平和な国土を築きました。

釈迦滅後のこの時代の僧侶は妻帯もせず、肉食もせず托鉢のみで質素な生活をしていました。

立派な伽藍の寺院にこもる事も無く、大衆の中に入って共に汗を流されていたのです。

私が以前住んでいた、伊丹市にも行基という僧侶が千年以上昔に立ち寄られ、当時灌がい設備が無く、飢饉で苦しんでいた民衆を見かねて民衆とともに灌がい用のため池をつくりました。

それが昆陽池(こやいけ)です。千年以上たった今でも市民の飲み水として機能しています。

現在の宗教の多くは儀礼となり形骸化しています。

この当時の行基は菩薩様と呼ばれていましたが、まさに行動そのものが菩薩であったのです

。私達のどこか遠くに菩薩様がいるのではなく、私達の生命の中に菩薩様が内在されており、縁にふれてその菩薩心が出てくるのです。菩薩像などはその菩薩心を作者がある形に彫刻したに過ぎないものです。いわゆる人間が作ったものです。


さて聖徳太子ですが、一度に何十人の話を聞き分けたとの逸話からもある特殊な能力が備わっていたものと思われます。

こんな逸話があります。聖徳太子の叔父にあたる方に崇峻天皇(すしゅんてんのう)がおられます。

この天皇は数多くいる天皇のなかでも暗殺された珍しい天皇です。

ある時天皇が聖徳太子に自分の事を占ってくれと言いました。

太子は最初は断りましたが何度も懇願されるので仕方なく占うことにしました。

「まことに言いにくいのですが、天皇、あなたは人に恨まれて殺される運命にあります。目に赤い筋が入っています。それは人の恨みを買う相です」と言いました。

驚いた天皇は「それは本当か!ではそれを防ぐにはどうしたらよいのだ」といいました。「それは非常に難しいのです。しかし五常の徳(仁・義・礼・知・心)に努めれば大丈夫でしょう」と言いました。

天皇は了解しました

。ある時、天皇に猪の子を献上に上がった使者がいました。

天皇はその使者から猪の子を奪うやいなや、猪の子の目玉を剣で刺し「いつか、憎い奴をこのような目にあわせてやるわ!」と悩乱しました。

それを見ていた太子は「なんということでしょう!」と嘆きました。

天皇は短気で五常の徳を実行することができませんでした。

それでも太子は影ながらやってくる使者や従者(部下)に対して、天皇の心配りだと言って、贈り物を与えたりしてできるだけ天皇のイメージを損ねないように憎まれないように助けていたのでした。

しかし、ある時に使者の口からあの猪の子の一件がうわさとなり、豪族の蘇我馬子(そがのうまこ)の耳に入りました。

馬子は「天皇が憎んでいるのはきっと俺のことだ。よし先にやってしまえ!」と2名の暗殺者を送り込んで天皇を暗殺してしまったのでした。


この事が意味するのは短気(怒り)は災いや誤解を呼び寄せてしまい、軽率な発言は慎まねばならないことを教えています。

思ったことをすぐに口にするのではなく七度心の中で繰り返してから発言せよとも言われています。

私自身も気をつけねばなりません。

しかし、さすが聖徳太子ですね。

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プロフィール

若松勝元(勝彦)

Author:若松勝元(勝彦)
真言宗僧侶です。とは言ってもそんな格好の良いものではございません。平日は皆さまと一緒で労働し、日々悩みながら生活を送り、週末は僧の役目をさせていただいている優婆塞(うばそく)でございます。日々雑感をつづってまいります。何卒、よろしくお願い申し上げます。

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