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ウィル・スミスさん事件に思うこと。

13年ぶりに、

日本映画が受賞しました、今回のアカデミー賞でしたが、

別の暴力沙汰の方が、クローズアップされてしまいました。

賛否両論あり、意見も個人やお国で違います。

ウィル・スミスさんが、正しいとか間違っているとかいう前に、

言葉の「暴力」を含め、

私たちが「それ」を行うときに、

「正義」とか「論理」とか「感情」とか、

いろいろと理由付けはしますが、

実は相手をしっかりと、見極めて、

いるのではないでしょうか?

「暴力」を使っても、

反撃してこない。

どうせ、反撃しても大したことはないだろう。

後で、自分自身や家族が生死の境をさまようようになったりするような、

実害はないだろうか。

そこまではないにしろ、

仕事を失なったり、払えないような賠償金を請求されないだろうか?

などなど。

そうしたことを踏まえたうえで、

「こいつならやっちゃっても(言っちゃっても)大丈夫だろう」

と、相手をしっかりと値踏みした上で、

行っているのではないでしょうか。

アカデミー賞の一件も、

プレゼンテーターが「格闘家」「マフィア」あるいは「大統領」だったら、同じことをしていたかどうか。

プーチンも、

ウクライナが「核大国」なら、

同じことをしていたでしょうか?

私たちも、

日常においてそのような「動物本能的」な、

考え方が「根元(ねもと)」にあるということを

認識して、生活していきたいものです。

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自分をまもる。

「自分を大切にしなさい」とよく言われます。しかし、

「自分を大切にする」とは一体、どういうことを言うのでしょうか。

「無理をしない」「いやな事はことわる」「嫌な人間には近寄らない」「深く考えないようにする」・・・

体の面に限っていえば、

「食べ過ぎない、飲みすぎない」「脂っこいものは食べない」「塩分は少なめ・・・」「運動する」「良く寝る」・・・

「自分を大切にする」と言う言葉から、思い浮かぶのは大体こんなところでしょうか。

しかし、生きていく中で「自分を大切にする」事を第一にとはなかなかまいりません。

下手をすると、社会生活、家庭生活が成り立たなくなります。

ですから、「自分を大切にする」と言う言葉を「自分をまもる」というふうに

置き換えてみたらどうかと気づきました。

無理をしなきゃいけない状況でも、「自分をまもり」ながら。

嫌な人とお付き合いしなければいけない状況でも「自分をまもり」ながら。

「自分をまもる」とは何をどのようにまもるのでしょうか。

まず「自分」をまもるのは「自分しかいない」ということを、

認めることです。

何をまもるのか?

「心」です。

「心」をまもるためには、「他人」を意識しすぎない事です。

「他人」とは、自分以外の人です。ですから、極論を言えば、

家族や世話になっている人も含めてです。

人だけとは限りません。

一般的な常識や知識、風評・・・

例えば、「健康のために歩く」ということでも、

自分はこんな状態で、とても歩けない、はずかしい、人と比べてしまう・・・

あるいは、日によっては体調や気分がすぐれなくて、歩けない、歩きたくないなどのときもありますが、

「健康の為だから・・・」「自分が病気になると迷惑がかかるから」と

頑張ってしまうと「心」がおざなりになってしまい、最終的に健康の為のはずが、

病気や怪我になってしまうことも多いです。

家族や会社の為と、自分以外に「心」を置いたままにして、

自分の「心」を置き去りにしてしまうと、うまくいかなかったときに、

「こんなにがんばっているのに・・・」と愚痴になってしまいます。

また、気を付けなければいけない事は、「心」というもののはき違いです。

自分は「専門家」「資格者「親」「管理者」なんだから、

こうあらねばならない。

昔はこうだったから、今もこうあらねばならない。

こういった思いも自分の心から出ているものですが、本当の「心」でしょうか?

「本心」を知る手段は一つです。

他がどうあれ、状況がどうあれ、

そこに「喜び」を感じることができるかどうか。

楽しい状況や楽な状況ばかりが、「喜び」につながるかというえば、

そうではありません。一見、大変な状況であっても喜びにつながります。

実は「大変な状況」にこそ、本当の喜びにつながります。

「自分をまもる」とは「心」をまもる事であり、

「心」をまもるとは、「喜び」になるようにしていくことです。

「喜び」を感じるためには、自分以外の誰がどう言うか、どう思うかに焦点を当てるのではなく、

自分の本当の心の声をぜひ、聞いてあげて下さい。

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念ずれば花開く

「念ずれば花開く」

詩人の坂村真民さんの有名な言葉です。

意味は、「何事も一心不乱にやれば成就する」という意味らしいです。

しかし、もっと深い意味があるのではないかなぁと思う出来事がありました。

先日、雑草を刈るために古民家に行ってきました。

その時に、雑草の中に一輪の真っ赤なチューリップが、見事に咲いていました。

「おかしいなぁ!誰も植えてもいないし、世話をしたわけでもないに・・・」と。

実際、ご近所や私の家族にも聞きましたが、誰も知らないと言う。

「念じなくても花は咲くんだ!」と短絡的に思いましたが、実はそうではありませんでした。

「念」という字を書くと「今」に「心」と書きます。

ずっと傍で「咲け!」「咲いてくれ!」「咲いてほしい!」と念じ続けなくても、

その時(今)に思い込めて(心)球根を植えた行為が、時や環境が変わっても、

人知れず花が咲くことにつながるのですね。

人も花も一緒じゃないでしょうか。

今、真心や思いが通じなくても、

しっかりと、「今」に「心」を込めてした行為や言葉は、

時や環境が変わっても、

後に人知れず「花」が咲き、「実」を結ぶのじゃないでしょうか。

「見返り」「感謝」がなくても、お互いにその存在が確かめ合うことができないにしてもです。

「念ずれば花開く」

大変深いお言葉です。

チューリップ

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すべては自分のため

社会のため、

会社のため、

組織のため、

家族のため、

教祖のため、

上司のため、

恋人のため、

困っている人のため、

私たちは、

「・・・のために」

というキーワードをよく使います。

しかし、よく考えてみますと、

「自分のためにすべてやっている」という、

観念がないと、

折れてしまいます。

例えば会社のためや上司のためにがんばっている。

のではなく、

会社が良くなれば、

自分の雇用が守られるし、

上司を喜ばせれば、

自分が働きやすくなり、

家族を喜ばせれば、

家庭いう自分の居場所が快適になる。

だから、すべて自分のためにやっているのですが、

これが、相手の為にやっている。

自分は犠牲になってまでやっていると思うと、

いつかは破綻してしまいます。

自分以外の人間は、

誰であろうと、

「都合」が出てきます。

「都合」が合わなくなれば、

裏切られたとか、

憎しみや恨み、怒りに代わってしまいます。

「愛憎」と言いまして、

愛が深ければ深いほど、

憎しみも深くなります。

「自分のためにやっている」という軸足だと、

他人のために「無理」をしなくなります。

自分のためにならない、

不必要、不自然な事には、

手を出すことが少なくなるからです。

どの部分が、「自分のためになっているのか」

を、具体的に、

クールに考えることがポイントです。


「とにかくわからないけど、自分のためになっているんだ」

と言い聞かせることは危険です。

オウムに洗脳された人々は、

大方、そのような感じでしょうか。

子どもにも、

親の期待の為に、

何かをがんばらせることを、

教えてはなりません。

自分のためになる。

一見、自分のためにならないようなことでも、

何かしらの形で、

自分のためになるから、

じゃあ、どういう部分が

後で、どのように

ためになるのか?

という「見方」「考え方」を

教えてあげることが、

大切です。

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何のためのワクチンか。

世界中で、

新型コロナに対するワクチン接種が進められています。

ということになっていますが、

我が国日本では、

まだまだという感じです。

昼間ワイドショーを見ていて、

ワクチンの事をいろいろ報道していましたが、

合間のコマーシャルで、

発展途上国の子どもたちが、

日本などでは当たり前に受けることのできる、

ワクチンが受けられずに、

亡くなっている。

だから、あなたの募金をお願いしますという、

内容をやっておりました。

発展途上国では、

生まれたばかりの赤ちゃんが、

新型コロナワクチンどころか、

基本的なワクチンさえ、

受けられずに、

亡くなっていく。

かたや、

先進国では、われ先にと、

新型コロナワクチンを受けようと、

必死にもがいている。

聞くところによると、

日本の富裕層では、

中国のワクチンを、

高額なお金を払って、

闇で受けているそうな。

何のためにワクチン受けるの?

生きるためだと、

とりあえず答えるでしょう。

じゃあ、

何のために生きるの?

・・・。

少なくとも、

政府は、

全額負担してもワクチンを受けさせるのは、

国民の命が大切だからではなく、

早く終息して、

GOTOやオリンピックをやりたい!

だけでしょう。

発展途上国の子どものコマーシャルを見て、

命の重さは、

すむ場所や貧富で決まるのか。

ワクチンを受けるということを通して、

そこを考えないと、

人類はコロナに翻弄される日々が、

続くのでしょうか。

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プロフィール

若松

Author:若松
そんな格好の良いものではございません。日々ラッシュにもまれながら通勤し労働し、日々悩みながら生活を送り、週末は少し在家僧侶の役目をさせていただいている優婆塞(うばそく)でございます。日々雑感をつづってまいります。何卒、よろしくお願い申し上げます。

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