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今日の法話

「努力しろよ」「もっと努力しなさい」「苦労しないといけない」

親や教師、上司や先輩などから言われてきました。

どこか違和感を感じながらも、言われるままに頑張ってきました。

私自身は、現実は、あんまり頑張ってなく、

適当にやっている部分がほとんどだったように思います。

もし、言われるがままに全力で頑張っていたら、うつや自殺、原因不明の病気などに、

かかっていたと思います。

「苦労」や「努力」という言葉は、

一見きれいな言葉に思えますが、

一つ間違えると、相手をうつや自殺、病気に追い込む、危険な言葉であることも認識しないといけませんね。

そうは言いながらも、自分自身も、子どもなどに

「努力しろ」「勉強しろ」「塾へ行け」など無意識に言ってしまいます。

では、何のためにそんなことを言ってしまうのか。

「幸せ」になるためでしょうか。

もし、今の自分がタイムスリップして、当時の親や先生に

「先生、努力して苦労したら100%幸せになれますか?」

多分、「いやぁ、それはわからないなぁ。でも、努力や苦労はしないより、する方がいいんじゃないかなぁ」というような

あいまいな返答しか返ってこないでしょうね。

仏教では、

努力や苦労自体が素晴らしい、良いことだとは言いません。

「好きにしたらいい」です。

努力や苦労が良い結果になるか、悪い方に行くかは、目に見えない働きによります。

人にだまされてだまされて、人間不信になって、人間関係を遮断し、人生を終わる人もいれば、

同じだまされ続けた人生であっても、その経験苦労で人の力になれるような存在になる人もいます。

苦労や努力自体がどうこうではなく、

苦労や努力が良い方に出るかどうか?

結局、最後に振ったサイコロが「当たり」目がでないといけないのです。

結局、サイコロなんです。

サイコロなんだから、当たりがでるように

「目に見えない部分」をどうするかが、

ここが大事です。

学校や家庭もそういった事を教えてくれる存在が少なくなりました。

もっと、昔には、そういった事を教えてくれる人生の先輩が身近にいたように

思います。

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今日の法話

目に見えることしか信用しない人

目に見えないことも信じている人、あるいは信じようとする人

人間、大まかにわけると、この2種類に分類されます。

私のつたない経験上、

いくらきれいごとや立派な正論を言っていても、

目に見えることしか信用しない人は、

信用できません。

意外に、宗教をやっている人の中にも、

目に見えることしか信用しない人は多いです。

目に見えることしか信用しない人は、

「生かされている」という考えにはなりにくいです。

「感謝」というのは、

良い事をされたり、言われたり、利益を与えられたりしたときにだけ、

するものだと思ったら、大間違いです。

「感謝」できない事にも「感謝」できるようになる。

大変難しいですが、大切な事と感じます。

目に見えない事しか信じていないかどうか、判断するにはいい方法があります。

「霊」の話をしてみればいいです。

その反応をみれば大体わかります。

「霊」の存在を信じて、

法事や供養をしているかどうかが、重要です。

「霊」の存在を信じてないで、供養や法事をしているのなら、

見栄えや世間体でやっているからです。

きちんと宗教や宗教儀式をやっているからといって、

信用できるかどうか疑問です。

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今日の法話

人は時と場合によって、

いろんな見え方があります。

職場では嫌な奴でも、家に帰ったら良いお父さんやお母さんであったり、

その逆に、外では良い人間でも、家に帰ったら、DV夫だったりDV妻だったり。

ひどい場合は、時間単位でコロコロ顔つきが変わる人までいます。

敏感な人は、そんな顔つきがコロコロ変わる人と、四六時中一緒にいると、

精神的にまいってしまうでしょう。

一体、人間の「素(す)」の部分は、どこにあるのか、

いわゆる本当の部分はどうなのか?

疑問に思ってしまいます。ひどい場合は人間不信になってしまいます。

仏教では「すべての人に仏性(ぶっしょう)がそなわっていますよ」

簡単にいうと「どんなに悪人でも仏様が本体にそなわっているんですよ。だから、信じてあげなさい」という意味でしょうか。

しかし、これは本当のお釈迦様の教えとは違うんですね。

お釈迦様がお亡くなりになって、300年以上たったころから、でき始めた大乗経典(般若経や法華経、華厳経など)

になって初めて出てくる概念です。

特に「大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)」で出てきます。

では、「本性」はいったいどこに隠れているのでしょうか?

普段はわかりません。

それは、「危機状態」になったときに現れてきます。

自分自身に当てはめてみて、

例えば、嫌なことが起こった時に

どんな反応をしているか?

「キレる」「暴力的」「顔にすぐに出る」「他の事まで嫌になる」「仕返しする」・・・

いろんな反応があります。当然です。

人間には「自己防衛本能」がありますから。

年齢、立場、資格・・・

いろんな、外面は上がっていきますが、

この「自己防衛本能」の部分が変わっていかない限りは、

成長したことにはなりません。

結構、立派な立場の人が、ちょっとしたことで、取り乱したり、人格を疑うような発言や行動をしている事があります。

「え、なんで?」と思うような事が多々あります。

外面は成長やステップアップしていても、

嫌な事などがあった時の反応が何にも変わっていない限りは、

「業(カルマ)」は解消していないとお釈迦様は言われました。

本当に変わったかどうかは、親や子、配偶者など、

身近な方から、「あんた、本当に変わったねぇ」と言われるようになれば、

本当に成長してきているといえるでしょうね。

逆に、外の世界で、いくら「すごいですねぇ!○○さんはどんどん成長していますねぇ」と言われても、

身近な人から「何にも変わってねぇや」と言われているようであれば、

成長していないのです。

お釈迦様の本当の教えはシビアでシンプルなのです。

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今日の法話

「嘘も方便」という言葉があります。

方便という言葉は、「諸経の王」と言われる、法華経に出てくる言葉です。

法華経は全部で28の章に分かれているのですが、

その2番目の「方便品(ホウベンボン)」からきています。

お釈迦様が悟られて、

1番最初に法を説かれたのが、5人の弟子(もともと城を出た時から一緒に修行をしていた部下)に対してでした。

これを初転法輪(しょてんぽうりん)と言います。

法華経はお釈迦様が亡くなって、300年ぐらい後にできたお経ですが、

その中で、この最初の説法では、弟子がまだ真理が理解できるレベルではないので、

とりあえず、仮の教えである、方便の教えから説いた。

でも、法華経では、いよいよこれから真の教えを説きますよということを、方便品で述べている訳です。

だから、嘘であっても、お経では肯定されているので、

相手の為になる嘘は、方便なんだから、ついても良いんだよということになってしまったわけです。

よくわかるような、わからないようなお話です。

事実として、

お釈迦様は、自分が悟った真理がきっと誰にも理解できずに、

相手にもされないだろうと悩んだことでしょう。

それは、「真実(あるがまま)」を何よりも大切にされたがゆえにです。

方便という「テクニック」を用いて、人を救うことはできません。

お釈迦様が多くの人々を救ったのは、

誠実さや人間性で、

理解されにくい「目に見えない世界」や「真理」を

愚直に説法したからだと感じます。

ですから、「嘘も方便」という言葉は、

少し違うような気がします。

今ままでは、「相手の為になる嘘」「会社のためになる嘘」「社会の為になる嘘」・・・

が肯定されてきたのですが、

これからは、違うと感じます。

お釈迦様のように「真実」をいかに伝え、「知ろう」とする力が必要と感じます。

すでに、マスコミではなく、インターネットに世間が傾倒していることからもうかがえます。

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今日の法話

今日は、自分で単車のオイル交換をしてみました。

思ったより簡単に作業は終わったのですが、

いつも専門店にすべて任せていたので、

細かいことが後になって、気になってきました。

オイルの量は適正な量だったかな?

レベルゲージで確認したから間違いない。

ねじの締め具合は大丈夫だろうか?

ゆるくて、走っている時に取れてしまわないかどうか。もし、取れてしまったら大ごとだ!

逆に締めすぎて、ねじ山が壊れてしまっていないだろうか?

気になって、オイル交換は終わっても、何回も確認する自分自身がいます。

「そもそも、どうしてこんなに不安になるのだろう?」と考えたときに、

・知識不足(ねじの材質によっては締めすぎてはいけないものもある。トルクレンチの存在をしらないなど・・)
・経験不足(はじめて行うのと、何回も経験しているのとでは技術や感覚が違う・・・)

以上であると、思い至りました。

しかし、人生においては、すべてのことに知識や経験をもってあたることは不可能です。

知識や経験が豊富な第3者に頼るのも、一つの方法ですが、

それでも、事故が起こったりしています。

その際は時と場合によっては、争いごとになったりしています。

結局、「運」だととらえることもできるでしょう。

お釈迦さまは「あきらめなさい」と言われました。

いろいろ、考えて行動した結果、どうにもならないこともあります。

お釈迦様の言われた「あきらめ」は「諦め」ではなくて、

「明らめ」です。

「どうにもできないことを明らかにする」「物事の本質を明らかにする」

どうにもできないことを、いろいろ考えたり、悩んだりすると、

「今」がおろそかになってしまいます。

万事をつくした後は、「天命」にまかせて、

「今」を生きる。

単車も消耗品です。

いずれは、お別れする時が来るでしょう。

それまで、しっかりとメンテナンスして、それ以上、あれこれ考えないで、

楽しんで乗ろうと思います。

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プロフィール

若松勝彦

Author:若松勝彦
僧侶です。とは言ってもそんな格好の良いものではございません。平日は皆さまと一緒でラッシュにもまれながら通勤し労働し、日々悩みながら生活を送り、週末は僧の役目をさせていただいている優婆塞(うばそく)でございます。日々雑感をつづってまいります。何卒、よろしくお願い申し上げます。

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